この訃報を聞いた人の中には、クイーンの「ボヘミアンラプソディ」を思い出した人もいるだろうか。
Ryuchellさんのことを詳しく知らないし、死の真相はわからないという前提ではあるけど、少し書いておく。
「ボヘミアンラプソディ」は言わずと知れたROCKの名曲中の名曲。バラード、ロック、オペラ、次々変わる曲調で最後はフレディが壮大に歌い上げる、初めて聞いた人でも衝撃を受ける、若者がいうところの神曲。
その歌詞だが、著作権の関係のため、私の超意訳で、
1、舞台でスポットライトを浴びているような独唱、現実に当惑するような主人公。
2、主人公が自分自身の境遇を憐れむように歌うパート。
3、母の名を呼び、銃で人を殺したこと(Mama, just killed a man put a gun)を告白、懺悔、そして別れを告げるパート。
4、周りの人、みんなに、別れを告げ、生まれたことを後悔する。
曲調は突然変わりコミカルな歌劇のようになる
5、視点は変わり、喜劇に出てくるピエロ、同じく登場人物なのか、雷鳴の中ガリレオとフィガロが出てくる。
6、それら貴族(信念を持った人たち)と比べ、貧しい家の哀れな自分を救い出してくれと声を絞る。
7、唐突にイスラムの神の名の名を呼ぶも、どうやっても、そこから抜け出すことができない。
8、神の次は母に縛りつけないでほしいと懇願し、終いには、悪魔の名すら持ち出す。
また曲調は変わり
9、自分のことを理解してくれない、辛い仕打ちをする人々に懇願し、そこから離れる決意をする。
10、そして、今までの全ての苦悩から解放されるかのように、静かに、自分のあゆみが変わらないことを誓う、どんな風が吹こうとも。
と、クイーン、フレディのファンには笑われるような内容ですが、初めて聞いた当時は何のことかわからない、多分こういう、歌劇か、小説、映画をベースにしているんだろうぐらいにしか考えていなかった。
それが、フレディがAIDSで亡くなり、YouTubeで痩せ衰えた最後の日々の映像が出回ったり、ホモセクシャリティの部分が偏見なくクローズアップされ、そして、例の映画が大ヒットするようになり、ようやく、この「ボヘミアンラプソディー」に別の意味があるというのを知った。
フレディがゲイであること、そのエピソードは、その真実定かならぬものまで含め、山ほどネットに上がっているので、正確に、ここで書き切る自信はない。ただ、歌詞の中で出てくる、人を殺したというのは、フレディの中の本当の「性」。それを押し殺して生きることを強いられてきた人生。その憐れむべき自身の半生から抜け出すために、イスラムの神、果ては悪魔の生で口にする。ただ最後は自分らしく生きる、と決意した、という風に私は解釈したい。
この曲をきっかけに、それまで、極東の端っこの日本という国でしか人気の無かったバンドが世界のクイーンに変わっていく。バンドの成功で、自分のセクシャリティも楽曲の演出にどんどん使っていく。歌詞の最後のように、自分を幾分かでも解放できたんじゃないだろうか?
まだ、LGBTという言葉もなく、生き辛い生き方と、芸能界という、文字通り、足元が揺らぐような(landslideな)眩い世界に戸惑うただ一人の青年が、ショービジネス界での成功で、幸せな時間が過ごせたのならとフレディの人生を祝福せずにはいられない。
芸能界に入り、それまでの人生では思いもよらない、華やかな生活と、自分を徹底的に炙り出され、心ない言葉を浴びせかける世間、、、、。
詳しいことはよくわからない私が、この二人を並べて話をするのも烏滸がましいが、ふと、「ボヘミアンラプソディー」を思い出した、ということだけ、言いたかった。
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